2025/12/10 複雑な混合線の連鎖で菊を描く試み

2025/12/10 複雑な混合線の連鎖で菊を描く試み

2025年12月9日

 混合線を複雑なもの変化させて、その連続から菊を描くことはできるだろうか。

 複雑なものにする、というのは、具体的に言えば「線」や「形」のように言語化可能なインデックスとの交点から線を描くことに限定せずに、言語化する手前の対象も含めた上で見出された交点としての「点」描いたり、線を描くとき、そこに描くときの身体の動きや描き心地との関係で発生するインデックスAも含み入れるということ。

 

2025/12/09−1

 少し前まで、「広がっていく線」と呼んでいたこの線は、踊りでいうところの「関係な動き」と似たものだと思う。

 この四角い平面という対象(インデックス1)に応答したイメージであるインデックスAが、イメージとしてまずある。

 

 2025/12/09−2

 それはこのようなイメージだ。この線は、四角い平面に対してはじめに応答したインデックスAだ。

 「関係な動き」をするという時、その結果のイメージが先にあって、それを実現させることが目的になっていて、かつ重要であるという場合と、「関係な動き」をすること自体が目的になっていて、その行為の最中で発生し、連続する対象が重要であるという場合がある。

 「広がっていく線」と呼んでいた2025/12/09−1の線は、後者的な意識で描かれ、結果的に形になるものだった。

 なので、四角い平面に応答したイメージであるインデックスAを描くということにはまずならない。が、四角い平面に応答したイメージであるインデックスAとの関係ではじまるものだと思う。(必ずそうではないけど、基本的にはそう)

 四角い平面に対してはじめに応答したイメージであるインデックスAがまず生成されはじめる。それを契機に、それがイメージされきる前に、それへの関係線も生成されはじめる。それは連想的に、意識ではコントロールできない速度で連鎖していく。

 その連鎖を意識がイメージとして認識した後、インデックスAに対するはじめの関係線のイメージの、始点から余白を持たせて、余白を持たせた先の位置に鉛筆の先をあて、インデックスAに対するはじめの関係線のイメージを描画する。この時、インデックスAに対するはじめの関係線はイメージされきっていなくて、生成中のイメージであることが重要だ。描画が始まったら、インデックスAに対するはじめの関係線のイメージは消えて、描かれた線に対してや身体の動きに対して、など、複雑な関係の中で線のイメージが生成される。描画に1秒ほどかかる時は、見れる範囲で描かれた線のまとまりを捉えようとする。画面全体を捉えようとする。そこでの刺激もイメージの生成に関係してくる。

 重要なのは、イメージをしてから、それを描くのではなくて、イメージが生成され、連鎖する速度と実際に描画される速度を同じぐらいにすることだと思う。イメージしながら、しきる前に描いて、描きながらイメージを生成し続ける。

 イメージの生成、連鎖の速度に追いつけなければ、というより、反応できなければ、曲線がうまく描けないんじゃないだろうか。逆に、イメージの生成、連鎖よりも描画が早くなってしまうということは、身体の動きとの関係で描くという側面が強くなるか、直線になって飛んでいってしまうのではないだろうか。

 というわけで、2025/12/10−1の線は、そのような、少し前に「広がっていく線」と呼んでいたもので、これからは「はじめに応答され生成される最中のインデックスAに対して連鎖する関係線」と呼ぼうと思う。それを簡単に、「はじめの線」と呼ぼうと思う。

 というわけでは、2025/12/10−1は、「はじめの線」を途中でやめたものの写真だ。

 

2025/12/10−3

 というわけで、「はじめの線」を続けるとこのような形が描かれる。「菊を描く」ということをするために、画面全体にわたるような三つのインデックスAを取り出したかったので、そのことを意識しながら応答する線を選択して連続させた。それが何をしていることなのか、うまく説明できないが大切なことな気がする。

 自然と湧いて出てくるものを、基本はそのまま発生させながら、大きな方向を操作する感じ。

 

 2025/12/10−4

 三つのインデックス1を取り出す。

 

2025/12/10-6

 別の紙に鉛筆で写す。

 さて、ここから複雑な混合線の連鎖で菊を描くという今日の試みをはじめる。

 2025/12/10−7

 まずは対象の形態に対して、スケール7以上の混合線を描いた。

2025/12/10−8

 少しできたか。今日は複雑な線の連鎖ということで、言葉にできる範囲をこえて線を描いたので、まだすぐには何が起こったかを記述できない。また必要な時に言語化することになると思う。

 重要だったと思うのは、まず、菊はうまく描けた時の線画をよく見ながら描いたということ。菊の花びらを描くとき、引かれているインデックスAへの関係線として(しっかりとは言語化させずに、少し意識させる程度)描いたとううこと。

 菊の花の形はその場所インデックスAとつながっている。そのインデックスAはより大きなスケールのインデックスAとつながっていて、最終的にははじめの線までつながっている。試みとして重要だったのは、複雑な要素が入り込んでいて、ロジカルにきれいに理解できるような、形而上の概念と概念の幾何学的なつながり方というより、植物たちのつながりのような、どこからどこまでがどれぐらい、どこでつながっているのかわからないけど、何かがどこかで、どの程度かはつながっているというような、そんなつながりだった感じがしたということ。

 そしてそれをつなげていく時の感覚は、自分が植物の根の先端になって、あるいは芽になって、他の無数の根や芽の動きを感覚しながら、土の中を、大気中を進んでいくような感じだった。集中している対象が言語化できない状態で集中しているような感じ。

 

2025/12/10−9

 三つのインデックスAを赤い線で描いたらすごくよかった!!

 三つのインデックスと、菊というインデックスは、そのスケールという意味では同じ。「三つのインデックス」は一つ下のスケールの要素で構成された形態だ。菊はその下、そのさらに下、と、階層が豊かという違いがある。

 あとは、三つのインデックスと菊の間には、認識が追いつかないが感覚され続けていたつながりがある。

 三つのインデックスから菊の絵になるまで、間に「言語化する手前で連鎖させた関係線」があった。それが今日の試みでもあった。この「言語化する手前で連鎖させた関係線」はなぞっていない。「三つのインデックス」は、はじめの線から取り出した、「言語化されたインデックス」だ。

 「言語化されたインデックス」としての「三つのインデックス」と、「言語化されたインデックス」としての「菊」が見えている。その二つは、「言語化する手前で連鎖させた関係線」がつないでいる。

 今この状態は、「言語化されたインデックス」同士の間の、「言語化する手前で連鎖していたもの」のつながりを感じさせているということなのだろうか。

 まだよくわからないけど、差し当たり成功だ!

 複雑な混合線と呼んで試みを始めたもの、今後は「言語化する手前で連鎖させたインデックス」と呼んでみる。それは粒のようだったり、流れる枝のようだったり、繊細で細かく複雑な質感だ。

 明日は、今日なぞらなかった「言語化する手間で発生させたインデックス」をなぞってみて、印象の違いを観察してみる。おそらく今の状態の方がよくて、なぞるとよくなくなると思われる。混ざってしまうので。混ざるということについて考えることになるのだろうか。

 あと今日の試みで感じたのは、感覚だよりだけだと静かなものがつくれなくて、論理だけだと豊かなものがつくれないということ。