Sさんとの話

Sさんとの話

2025年12月16日

タトゥー・イレズミって、具体的な動物だったりを彫るものだと思っていたけど、アートみたいなものを彫るっていいなと思いました。

構図とかデザインが全く思いつかないです。ただ、バッチョさんの構図は女性的で。他の作品も見ましたが黒く太い線よりかは、繊細な感じ、大理石っぽい感じ?そういう大まかな感じがいいんですけど。被ってる感じ、ぼやっと被ってる感じもすごくいいなと思います。これといって、絶対こうして欲しいみたいな要望はないんですけど、できれば蝶?を入れたくて、でもはっきりとした、ザ、イレズミみたいな蝶じゃなくて、なんていうんですかね、透け感のある??蝶をどっかに入れたいです。

ファーストタトゥーが、今年の6月に手首に彫ったんですけど、初めてのタトゥーで舞い上がっていて、構図とか色々考えていたんですけど、素人なので限界がありました。チャット GPTに構図を大まかに作ってもらいました。でもまあ、完全ではないなって感じでした。その時は、その時選んだ彫り師さんの作品を見ていいなと思ったので依頼しに行きました。初めのイメージでは、チャット GPTが作った大まかなイメージから、彫り師さんと一緒に、より良い図案を作っていくことになるのかなと思っていましたが、その彫り師さんは、このままのほうがいいということを言って、その時は、プロがそういうのならそうなのかと思い、そのまま彫りました。でも、今思うと、もうちょっと良くしたかったなと思いますし、彫り師さんを選ぶのももっと広い視野で見ればよかったなと思います。もう少し、彫り師さんと一緒に作りたかったです。

元々蝶が好きなんですね。携帯のカバーも蝶だし、ロック画面も蝶だし。具体的に何が好きって聞かれたらうまく説明できないんですけど。蝶が好きです。

6月に彫ったものは、蛇、悪魔の羽と天使の羽。もうちょい大きめにしとけばよかったなと思うんですけど、その彫り師さんが女性は小さいほうがいいというので、はあそうかと思いこの大きさです。

とりあえずすごいぼやっとした考えで、ずっと若い頃から彫りたいなと思っていたけど、何が彫りたいかと言われたらわからなくて、純粋に蛇も好きなんですよ。蛇のイレズミの意味とか調べたら、いいなと思ったし。

次に何入れたいか考えた時に、羽?羽のバサっていう感じがすごい自分の中で好みでした。蛇と羽をどうしようとなったときに、どっちも好きだからどっちも入れちゃえばいいじゃんと思って、両腕に彫りました。

その後に、Bさんの作品を見て、衝撃、感動でした。絶対この人に彫ってもらおうって思って、家から遠いの苦手なんですけど、絶対この人がいいって思いました。

繊細な線の感じは最大限出しつつも、別の作品として作りたいです。真似するのは嫌なので。

なるべく早く完成させたいなとは思うんですけど、特にいつまでにというのはないんですけど、早く完成した腕が見たいというのもあります。

蝶と大理石、なんで好きなんだろうって考えた時に、二つとも私の観点から美しいと思えるからっていうのがあると思います。蛇は、なんでだろう。私の性格的に、精神的に弱くなることがあるんですよ、そういう時、蛇っているだけでかっこいい。ずっと彫りたいなと思っていたんですけど、息子がいるんですけど、今中三で、彫りたいって息子に言ってみたら、お母さんがやりたいことはなんでもやって欲しいって言ってくれて。イレズミ出して学校きても全然問題ないって言ってくれて。

お守り的に?蛇ってなんか神々しいです。

イレズミを彫れたこと自体は嬉しかったです。ずっと彫りたかったけど、彫ると息子に偏見の目が、とか、嫌なことばっかりイメージしちゃったんですけど、息子に話したら、いいって言ってくれたし、いい意味でも悪い意味でも、開き直ることができたって感じはありますね。

周りの人たちも入ってる人が多いんですけど、完全にテイストが違って。和彫とか。かっこいいけど、私は美しいと思わなくて。私は違うなと思いました。でも具体的なものは出てこなかったんです。朝日さんの作品は和ぼりでもないし、タトゥー?タトゥーってかアート?みたいな感じなんですよね。和彫ってやっぱり威圧的というか怖い感じがあるんです。威圧したい訳ではないので。

周りに朝日さんの作品を見せると、え?これなの?って反応なんですよ。私、すごい周りの意見に流されやすくて。でも、そういう反応されても、これがいいってなったので。自分の体に一生残るものだから、誰になんと言われようと私はこれが好きってものがいいなと思いました。

イレズミとかタトゥーを彫るときにモチーフを入れてる人って、すごくなんで入れたの?とか聞いてくるんです。私はただ好きだったからですで何が悪いの?って思います。後ずけで理由をつけるのがいやです。

大きさは、わからないんですけど、範囲としては手首から肩までを考えてます。

大理石?水面?煙にも見えるような感じは好きです。

細かすぎても嫌なんです。色彩としては好きなんですけど、編み目みたいに見えるのはあんまり好きじゃなくて。等間隔っぽい感じのやつとか好きじゃなくて、なんかほんと、なんなのこれ?みたいなのが好きなんですよ。

例えばこういうベースで、蝶がどーんといるというよりかは、よくみたら蝶だねぐらいでもいいかなと思っていて。みんなが考える蝶の形じゃなくても、自分がわかればいいので。

あくまで私はベース、繊細な線をメインにしたいので、どちらかと言ったら蝶は二番手。ベース、主役を汚さない程度でいて欲しいです。でも、蝶の主張がある程度あっても、ベースを汚しているという感じにはならない構成があるのであれば、全然それでもいいです。違和感、取ってつけたようなのが嫌です。うまく蝶という対象と抽象的な図像が調和するのであれば、それが一番最高ではありますね。

どっちかといえばそうですね。

どっかでセーブしちゃうじゃないですか。好きなもの、好きなもの。でも大人になるにつれて、ほんとに楽しいことって少なくなるから、たまには馬鹿になるのもいいですよね。好きなものと好きなものを掛け合わせたらもっと好きになるんじゃないかという単純なことなんですけど。

この画像、その、iPhoneのロック画面は普通に、それが実現されていますよね。

あんまり私これが好きってものないんですよね。でも、蝶は好きですね。

この画像はGoogleで蝶、ロック画面みたいな感じで調べてって、どっかのサイトで調べていって、ガラス系の綺麗な写真がたくさんあって、そこで見つけました。

色彩の蝶っていうより、この、黒いっていうのに惹かれてるのかな。

蝶を体に彫るって考えると、手首がまず思い浮かぶけど。うーん、どこでも嬉しいです。

彫る前にイメージができなくても、全然OKです。

完成っぽい感じだったけど、またブラックアウト?みたいな感じになってるのをみて、完璧って難しいですね。

その時は完璧だと思っても、なんかのきっかけでそういうふうな感情になると思うんですけど、私はそうなったらまた依頼すると思います。納得いくまでまたゼロからスタートみたいな感じで、継続すると思います。

ほんとに外出ないので、寝るのが大好きで、ずっと寝てます。

自分はなんか寝るのが優先順位一番高いです。

 2025/12/16 二回目の話し合い

 いろんな蝶の画像を見てたんですけど、パキッとした蝶じゃないくて、こういう筆で描いたような蝶がいいなと思いました。ぽいなって。ぽいなって、結構好き。

 輪郭がはっきりしている蝶よりボヤッとしている、煙みたいなのが好きですね。

 

 共有できるか微妙かもしれないんですけど、雪舟の破墨山水図みたいなものができたらいいなと思うんですけど、どうすればできるだろうか、、、という現在地にいます。

 しかもそれが平面でできたとてということことでもあり。

 水墨画いいですよね。水墨っぽい感じが好きです。真っ黒が主張しているデザインよりは黒は黒なんだけど、薄い?ぼんやり、ぼやあっとしている方が好きです。

 中国の昔の詩人で蘇軾という人がいるんですけど、その人の詠んだ詩、「墨は黒だけでなく、その黒の中に七色を味わうというように、まず紫光色がよく、黒色はその次であり、青光色は更にその次となる。

 しかもそれはうわついた光ではなく底光するような色で、硯ですってみて清い香りがし、音のしないものがよい」というものがあるんですけど。それを思い出しました。

 破墨山水図は、いわゆる余白的な、「見えないものに出会っている感じ」ではない、みえない、風景全体、みたいなものに出合っている感じがするんですよね。それがどうしたらできるのか、、、。

 雪舟もこれは晩年の作品なので、僕も高齢になったらできるようになるのかもしれない。そうしたら、仮に今できなかったら、続きを彫りに来てくれると嬉しいです。

 あと、いれずみの作品をつくるという上でどうしても肌の色は無視できなくて、そういう色味ということでも水墨画のような印象にならざるを得ないんですけど、それはよさそうですか?

 はい。そっちの方がいいです。

 

 水面にこだわらなくても、なんか、なんだろう、、、こういう木の枝っぽい感じ?もいいなあって思います。遠くから見たらひび割れっぽく見えるじゃないですか。こういうのも割と、、、。

 最初に、ぽいなって感じが好きという言葉があったかなと思うんですけど、木もぽいなという感じですか?

 木も結構好きですね。なんか、なんだろう、、、

 

  

好みで言ったら、これが好きです。波のようにも見えるし、煙のようにも見える、結構これが好き。

 

これはどうですか?

あ!はいはい。そんな感じです。結構本当にそんな感じにしたいです。

 

 

(1-1)

 これはどうですか?

 こういうのも好きですけど、さっきの方が好きです。

(1-2)

 これも好きです。(1-3) 

 やっぱり、ちょっと写真の加工で肌が白くなっていますよね。実際にはこういう印象にはならないと思います。

  こういう印象のものならつくれます。

 はいはい、そういう感じ。ただの直線というよりかは

 

 こういうような幅だと、ちょっと太すぎますか?

 一部分だったらいいんですけど、この感じがずっと続くのはあんまり好みではないです。

   例えばこれとか、一部分が重いけど、全部その幅ではないみたいなことだったらよさそうですか?

 うんうん。

  

 次はこれを見て欲しくて、腕全体のインクの量としては、これは少し少ないかなといった感じですか?

 うん。そうですね。

 1-3はどうですか?多いですか?

 うーん、、、多くもない、、、

 1-2はどうですか?

 インクの量で言ったら、デザインはおいておいて、全然これぐらいでいい。あんまり余白が多すぎるのも好きじゃないので。

 インクの量で言ったら、バッチョさんの腕?あれぐらいの余白の感じがすごくいいです。

 内側はそんなに、ぶっちゃけ入ってなくてもいいぐらいなんですけど、外側はバッチョさんぐらいあるといいなと思います。

 なるほど、バッチョさんの余白の印象は、ひび割れの細かい図像が出しているというところがあるのかなと思うんです。煙の図像でやった時に、インクの量を合わせても同じような印象になるだろうかという感じがあります。ただ、あまり前例はないんですけど、煙の薄く空気にほどけていくような部分を薄く薄く、細密につくりこんだら出るのではないだろうかという気がしています。

 そういう部分欲しいです。

 蝶の場所なんですけど、ここに欲しいっていうのとかってありますか?

 どこだろう、、、側面?側面だったらこっちでもこっちでもいいかな。

 場所にこだわりはないです。朝日さんがここだっていうところで

 そうですね。はいわかりました。そういう、ここだ!という場所は自ずから立ち上がってくるので今はわからないんですけど、彫る連続の中で到来すると思います。というわけで、そういう時がやってくる前には伝えられないことなのですが、大丈夫ですか?

 あ、全然大丈夫です。

 施術範囲は、手の甲に掛からなければいいというのと、肩は、まあここを超えて欲しくないというのはないんですけど、イメージとしては肩から腕一本という感じです。

 じゃあ肩を一切超えてほしくないわけじゃないけど、胸の方とかまで、どーん、は違うという感じですよね。

 まだ、どーんは考えてないです。

 一応伝えておくといったようなことなんですけど、もし今後背中の方も増やしたいとなった時、初めから背中から手首までで想定することでしかできない構成のことを思って、「はじめから背中も合わせて構成を組めばよかった」となる場合が稀にあります。けど、大丈夫ですか?

 大丈夫だと思います。

 多分、聞いておくということが大事なことなのだと思います。知らないと、もしそうなった時に「教えてくれれば」となるけど、聞いた上で、自分で大丈夫ということで踏み出せば、何事も自分の選択として引き受けられると思うので。

 Sさんのイメージでは、蝶って何匹ぐらい配置されるのがいい感じですか?


 何匹かー、、、一匹は確定だとして。いて二匹ぐらいかな。

 なるほど、どうして二匹までなんですか?

 なんだろう、デザインがまだ想像できてないので、あんまり主張しすぎてるのも変かなと思って。でもあの、私本当に美術が苦手なので、勝手に今サイズが同じ蝶がたくさんいるのを想像したんですけど、サイズがちがければ割と何匹かいてもいいのかな

 ギャルソンのデザインのような感じで、全体に蝶が配置されているというのもすごくいいと思います。でもまあ、それこそ、まずは一匹の蝶を彫るというイメージでつくりはじめていって、そこから増やすかどうかは彫りながら考えますか

 うんうん!それがいいと思います。

 だって、10年に一回、五回彫ることができたら、50年という時間を墨の色の違いや、その作品全体から感じることができるんですよ。必ず素晴らしい作品になると思います。 

 これで、少なくとも僕の側は彫り始められるような感じがしてきました。Sさんはいかがですか?

 はい。大丈夫です。

 それで、はじめに話していたことに繋がるんですけど(この部分は記述していなかった)、今まではここから、「図案」を作って、視覚的にも「彫れそうだ」という感覚をもって「より安心」を作って、進めていたんですけど、そうすると「平面の図案を再現する」という制作態度にやっぱりなっていってしまうんですよね。ただ実際平面のイメージと、実際につくる三次元のいれずみの間にはずれがあって、「図案を再現しよう」という意識の中だとそういった「ずれ」のようなものは「まあしょうがない」というものとして、その場にずちゃっと残った、「どうしようのないもの」「しかたのないもの」、みたいな感じになります。

 そうではなく、そのような平面のイメージと現実との「ずれ」を積極的に肯定しながら、そのずれを足がかりに一段ずつ積み重ねて、その都度の現実にしっかり応答して、つくり始める前からイメージでできることの限界を超えて新しい作品に出会えるような作品作りがしたいと思っています。そういう意識のとき、「ずれ」は、「どうしようもなく、しょうがないもの」ではなくなります。「間違えてはいけない」や「失敗できない」という意識も揺らいでいきます。

 そういう制作の中では、「完成のイメージとしての図案」はむしろない方がやりやすいです。それがあるとその都度それを参照してしまい、そこからはみ出すことが不安なことのようになってしまいやすいです。そんなわけで、「図案」を作らずに、初めからこれから作ろうとする作品の全体を決め切らずにはじめたいと思うのですがいかがでしょうか?

 はい。その方が全然楽しそうです。

 「図案」を作って、その都度それを参照して制作を進めるという場合、「図案」を作るまではどのような作品にしたいかをたくさん話すんですけど、一度図案ができてしまうと割と話すこともなくなるんです。あとは進めていくだけになるので。

 でも、ただ「完成」のイメージがなければいいというだけ、や「考えすぎない」とか、「その場のノリ」ということではなくて、その都度どのような作品にするのかを構築し続けるということだと思うんです。完全に無作為に進めていくわけではなくて。

 こうやって話したりして、Sさんがどういうことがしたくて、どういうことはしたくないのかということを共有しているからできることだと思うし、それもその都度続けていくことだと思います。全てを覚えているのは難しいので、こうして記述しています。なのである意味、この記述が図案代わりです。

 こういった制作の場合は、Sさんもここまでと同様、彫るということの連続の中で、「もう少しこうしたい」とか、「やっぱりこうしたい」みたいな感じでどんどん参加してきて欲しいです。それも記述していって先へ続けて行きます。

 こういう作り方をしようとすると、図案から逆算して最も効率のいい完成までの最短ルートというものを立てられなくなるので、極端な言い方をすれば何回かかるかわからないみたいな状況になると思います。

 とはいえ、すごくざっくりとした目安としては6回ぐらい施術をすればある程度形になると思います。

 この6回というのは大丈夫ですか?

 はい。あんまり回数はこだわりないです。