
今日、Dさんとのやり取りの中で使った参考資料。主に使ったものは「近代図案コレクション 美術海」という2006年に芸艸堂という出版社が出版した画集。この本には明治期の図案家が創案した図案を蒐め、山田芸艸堂が明治二十九年(1892)から刊行した多色木版摺の雑誌『美術海』の代表的な図案が選定され収録されている。
今日彫る図像を決めるためにDさんと彫師の朝日で図案を見ながら思ったことや感じたことを話し合う。一緒に来ていたDさんの奥さんも少し見たりその場に一緒にいたりしていた。
作品の全体のイメージは丸ごとヒマにさせている。図案を見ていると、複雑なものに惹かれやすい。特に抽象的な感覚に重心が向いている時はなおさら。
しかし複雑さという要素は作品全体が結果的に出してくるものとして現したい。同時に作品全体のイメージは丸ごとヒマにさせておかなければならないので、結果的に出てくる複雑さを彫り続ける前に想定しておくこともしたくない。
そうすると、今日彫る図像を選ぶときに、複雑さという要素を抜きにして選ばなければならない。そうして一つの図像を選ぶということはとても難しかった。最終的には、波の図像が選ばれた。朝日は、今自分が彫る対象として目の前に来ていると感じるのは波や雲など、壮大な何かだと思った。樹齢150年の巨木、名木と言われる松の木のような絵や、大詩人の厚みのある詩の書はまださっぱり描けない。それでも、千里を見通す目を極めようと欲してさらに一段高く登ろうとするような、想像が壮大な何かを今の自分が描くというのは、描けると思った。想像が壮大なのだが、作品に未熟さ、雑多さも現れてしまい、むしろまだ成し得ていない未来の大きなイメージと現在の距離が際立つ。そういうものは、ありのままが真っ直ぐに描けているような感じがする。それで、波や雲のような、大きいものを対象として描くというのはいいなと思った。
Dさんは、また全く別の意識として波の図像がどこかで使えたらいい、と兼ねてより言っていた。Dさんとは、今日の第一回施術に至るまで半年弱話し合いを続けてきていた。
全く別の二人の意識が波の図像という形で、別々のまま今この場で一致するということが起こったのには心が躍った。
2026/01/20−1に写っているものは他に、カンディンスキーの絵と葛飾北斎の浮世絵の画像と、書のひらがなの練習見本。
波の図像をまずは彫るということになってから、実際に彫っていこうと下書きをDさんの体にしている時、まずは任意の混合線を暗(そら)として描いた。つまり、この混合線への関係線として波の図像を現す。初めに描いた混合線は彫らないので、暗の混合線と呼んでいる。
暗の混合線を描いている時に、カンディンスキーは今やっていることとは逆で、関係線自体を描こうとしたんだろうなあということを思った。構図、構成で有名な葛飾北斎の浮世絵もどちらかといえば関係線自体を描画する対象で表そうとする意識が多いように思う。しかし書では関係線は暗であることがあまりにも当然のように出てくる。はじめに言葉があって、それを現す文字であって、それをさらに美しく書こうというものだからだろうか。文字の形の方を変化させるわけにはいかないので、描かない関係線との関係で文字の形を書くことが自然になったのだろうか。そのようなことを考えさせられとても面白くて、Dさんにも共有した。
詩は人心の発露せるものである。人の心にあるのが志で、これが言に発して詩となる。心中に感情が動けば自ずと言に現れる。言に現すだけでは足らず、そこでこれを嗟嘆し、嗟嘆しても足らず、更に声を永くして歌う。
と、詩経に書いてあった。自分もそうだなと感じる。これは「画(絵や、線)」も同じだと思う。
しかし「書」では自ずと現れる関係線があるがそれを描こうとするわけではなく、かくものは「詩」で、すでに文字という形があり、形に対してその場で現れてくる線との関係で、「画」も「詩」も、より深く、奥底から現そうとする。「書」とは一体なんなんだろう。
これまでほとんど「画」のことしかわからず、「詩」「書」「画」を別々のものと切り分けて考えてきた自分にとっては、この「書」が最も得体がしれなく、最近は最も惹きつけられている。

少し前から、図案を手放すということ、完成のイメージを持たずに彫り進めていくということができるようになってきた。この大きな自分の変化があってから、資料の見方も変わったように思う。そのことが面白かった。
あと、つくるときの時間感覚の話もした。自分は、いれずみの部分だけでいえば五十年の時間感覚でつくりたいと思っている。二年に一回でも、五十年かければ25回彫れる。二十五回に分けられた彫りで積み上がった墨の彩から五十年という時間を感じ取ることができる、というようなものができるんじゃないだろうか。すごくやってみたい。しかしそれだけ時間をかけて作っても、身体が跡形もなくなってしまったら、自然に帰ってしまうというのがなんとも切なく、儚い。
常に変化を続け、再生もする有限な生命の中でやっているからできることだと思う。有限だからこそ五十年、百年と時間をかけたいと思わされる。切なくなることで、在るということが大切なことなんだということを感じ取ることができる。
この話をDさんに聞いてもらい、大いに共感してくれたことがとても嬉しかった。
彫り終わった後、少し今後の話をした。水墨画のような写実的な草花の絵柄をここに彫り重ねるつもりでいる。今思う次第で、だいたいどんな感じになりそうか?どんな花を使いそうか?という話になった。
自分は今、崋椿系の絵を目指して勉強している。今年から出身地である愛知県・渥美半島での活動も始めた。地元の大画家が華椿系の中心人物、渡辺崋山だ。なんと、Dさんの奥さんは自分と地元が同じだった。出身中学が同じで、歳の差は3歳。渥美半島は電照菊の生産が盛んなのだが、奥さんの実家は菊農家さんなのだという。それで、Dさんはそれなら菊の花を彫るのはいいかもしれないと思ったと言っていた。自分もすごくいいのではないかと思った。そこで、渥美の菊づくりはあまり美的な品評会のような感じになっていっている気がしなくて、大量生産だけではなくて、作品として菊をつくるということが渥美でももっとやってほしいと少し前に思ったことを思い出した。そのことをDさんに話して、ぜひ渥美で作品としての菊を作ってくださいと言ったら、そういうのもいいかもしれないと言っていた。今日の始めに、今は東京に住んでいるけど、ゆくゆくは愛知に移り住んでもいいんじゃないかと思ったりするということも言っていた。
なんだか、すごく色々なことが錯綜した。図案を手放す、完成のイメージを持たずに彫り続けるということは、このような一つ一つの出来事ややり取りも作品に含みこめるのだなということを実感した。まだ実際に菊を彫るのかどうかはわからないけど、今日の濃密な出来事が関係した結果が現れるのだろうと思う。彫る前から平面でイメージを決めて、それを身体で再現するため、最短工程を効率的に進めていくやり方では、今日のような気持ちにはならないのだと思う。
