約二週間の渥美での滞在が終わり、高円寺に来た。

東京に来るとまずは高円寺に来る。pal商店街を通って、その先にあるルック商店街沿いの「Cafe & Bar Blue Moon 」というカフェ?のような場所へ行く。

高円寺のブルームーンというのは、私が2023年の冬ごろから通い始めたカフェ?のような場所のこと。ブルームーンとの関わりを思い返すと、2022年から東京・神保町にある「美学校」という、オルタナティブな学校に通ったのだけど、そこで2年目から受講した「アートに何ができるのか」という講座で講師の荒谷大輔さんという人に出会った。その荒谷さんが講座で紹介した場所がブルームーンだった。

彫師になったのが2020年。初めは原宿のシェアサロンのような場所の一角を間借りして始めた。少しずつ彫りに来てくれる人が増えてきて、思い切って自分だけの物件を西新宿で借りたのが2021年。そうして、自分で好きなようにやっていい場所、ができた。結局自分はどうしたいんだろう?何がつくりたいんだろう?ということを考え続けている。そこに、この場所をどうしたいんだろう?というのが加わった。
そこから、少し本を読んだ。そうすると、レヴィ=ストロースという人に興味が出た。この人のことをもう少し理解したいと思い、「レヴィ=ストロース 学校」でネット検索した。すると、美学校の「境界芸術への旅_アートとデザインと民俗学と人類学」という講座が出てきた。講師は佐藤直樹さん、中村豊さん、福住廉さんという人たちだった。お三方の本を一冊ずつ読んで、一年間の講座に参加し始めた。それが美学校での一年目の講座だった。「境界芸術への旅」では、二週間に一回、デザインやアート、民俗学や文化人類学といったことに関心がある人たちが集まって1年間、今思えば夢のような雑談を続けた。今まで聞いたことのない話をたくさん聞いたり、今まで人に話したことがなかった自分の想いをぶちまけたりした。貴重な出会いにも恵まれた。講座が終わった時、胸に浮かんでいた言葉は、「すごく景色は広がったけど、結局肝心なことはよくわからないな。」ということだった。講師ということのはずだった福住廉さんは途中から来なくなるし、主任講師の佐藤直樹さんは修了展に来ないし、雑多なところもあった。けど、佐藤さんともっと話したいとも思った。けど、その講座は一年きりで、次年度は開校しなかった。講座の最後の方、佐藤さんが、「ラカンを勉強しようと思っている。」と言っていた。ラカンって何だと思って、少し調べたら、ジャックラカンというフランスの哲学者/精神分析家だった。レヴィ=ストロースよりももっと何言ってるかわからないことを言っていた。
そうして、美学校はもう一年通いたいけど、どの講座を受けたらいいのか、、、と思って次年度の開校案内を見ていると、今度は「ジャックラカンが専門です」と言う講師の方が受け持つ「アートに何ができるのか」という講座を見つけた。そうしてまた、そのような漠然としたとっかかりで「アートに何ができるのか」を美学校2年目の講座として受講することになった。自分の場所は西新宿から板橋へとまた移転した。一軒家を借りて、さらに広くなって、もっと色々なことができるような気がしてきた。
「アートに何ができるのか」でまた、「こんなことをしてるんだけど、どう思う?」みたいな自分のことを話した。そうすると、講師の荒谷さんに、「うーん、それだと資本主義は乗り越えられなくないですか?」と言われた。そこでようやく、この講座は資本主義を乗り越えるにはどうしたらいいのか、そこでアートが社会でどう機能したらいいのかを考える講座だったのかと理解した。開校案内にも書いてあったけど、少し難しい言い回しだったし、よくわかってなかった。
「資本主義を乗り越える」ということは、それまでほとんど考えてこなかった。資本主義の経済圏の中で特に大きな不自由はなく暮らしてきたし、やりたいことをやるというのもできているように思っていたからだと思う。これもいい機会かと思い、資本主義ということを勉強し始めた。すると、資本主義の前提にいかに自分がとらえられていて、かつそのことを無自覚なまま走ってきたことがわかってきて、驚いた。それに疲れ切っていた自分にも気づいた。そうなってしまうと、どのようなイメージを思い描いても、「自分のやりたいことをやる」というのができないように思えてきた。
荒谷さんは、「こうしたら資本主義を乗り越えられるんじゃないですか?」というものと、「そこでアートはこのように機能できるんじゃないですか?」というものを提示した。それを実際に、現在やっている場所が、高円寺のブルームーンだった。
ブルームーンを見て、「これだ!」と、すとんと落ちることはなかった。それでも、そうそう、まずはこういうことから始めてみたいんだよな、ということが頻繁に起こる場所だった。板橋でこのまま、一人で模索していくより、ここで一緒にやっていった方が、何だか心が躍るような感じがした。それで、一緒にやってみませんか?と言うと、じゃあちょっと、やってみましょうか、となって、気がついたら地下で彫るようになっていた。

今回の渥美でしたことを振り返ると、釣り、家の整理、いれずみの記述、陸上教室のコーチ、あとはご飯をつくったり。など。




小中山漁港にたくさん釣りに行った。渥美では詩や書画を集中してやろうと思っていたけど、実際滞在していると海に行きたくなって、海に行けば釣りをしたくなって、今は釣りばっかりしている。釣りから学べることは本当に多い。
小中山漁港、と言うより、あの一帯と自分は何か、理解も想像も及ばない深い絆を感じる。実家は小中山漁業組合のあさり漁師で、その中で育った。小学生の頃から港や西の浜に行った。中学になると、一人で、友達と、釣りにもよくいくようになった。とにかくあの辺一体で何かをして遊んだり、過ごした。高校生になると陸上に夢中になってたくさん練習をしていたり、街に出かけたくなったりしていたのであまりあの辺に行くことはなくなったけど、それでも我慢できずに釣りに行ったりした。高校を出て、東京で暮らした。たまに渥美に帰ってくると、釣りに行った。
広い場所に行きたいからなのか、鳥がみたいからなのか、あの風にあたりたいのか、釣りがしたいのか、魚に出会いたいのか、何かに没頭したいのか、何が明確な理由としてあの辺に自分を惹きつけるのかよくわからないし、どれでもないような気もするのだけど、振り返ると自分はあの辺一帯に行ったり、来たりしていると言うことだけがわかる。
小中山の海は遠浅の海といって、水深が満潮で4〜5m、干っていると1m〜2mの、遠くまで浅い海になっている。海底は砂地。渥美半島は日本で一番日照時間が長く、かんばと言う青のりがよく育つ。そういった環境は砂地の小さな生き物たちにとってはとても居心地がいいらしい。その砂地の中に、あさりがたくさんいた。そうして、あさり漁師さんがたくさんいた。しかし20年ほど前からあさりが取れなくなってきた。現在、中山、小中山の人たちは「あさりをとりすぎてしまった。」「東日本の震災以降、急激に取れなくなった。」「温暖化であさりがいなくなったんじゃないか。」といったことを言っている。地域の若い人自体減ってきている。新しく漁師を始める人はあまりいない。漁師さんたちは高齢化している。
基本的には、真冬の釣りは難しい。海水温が低いので、あんまり魚が食べ物を探し回らなくなる。真冬でも、水深がある港ではある程度釣れたりするけど、小中山漁港の遠浅の港で真冬に魚を釣ることは、これまですごく厳しい戦いだった。けどだからこそ燃えてしまって、今になってたくさん釣りに行っている。堤防で釣りをしていると、びーーーーと軽トラに乗った漁師さんがやってきて、「なんだーどこの子だん、なあんも釣れんら〜」と声をかけてくる。
しかし今回の渥美では、ある程度釣ることができた!!
針に釣り糸を結んで、自分で仕掛けを作ることもできるようになった。高校生の頃まではできなかった。そういう、細密で、胆力のいることをする力が前よりついたのだと思う。前より広く見渡して、釣り方を探っていった。釣り針についた餌をしっかり海底まで落として探ることで、砂地の海底で生きている魚を釣ることができたと思っている。今まで、この遠浅の海を少し、いや結構残念に思っていたと思う。水深のある港を見ると、羨ましかった。けど、釣り針に糸を結ぶように、細密に、思いつくことを一つずつ試していったら、海底には真冬でもベッコウゾイやクロソイがいるし、食べて生きていることがわかった。彫師をしばらく続けて、このような細密なことを一つずつやっていく胆力がついたのだろうか。
海底で魚が釣れたことで、遠浅で、陽の光が満ち溢れているこの海にもう一度出会い直したような心地がした。もう水深のある港を羨ましいとは思わなくなった。そうして釣った魚を料理して、食べた。魚が食べる海底の小さな生き物や小さな魚、かんば、砂、浜、日が降り注いで、沈んで、また登ってくると言うこと、など、あらゆることと繋がっている魚を食べた実感があった。

そうすると、浜が自分の一部のような感覚が出てくる。渥美と東京の行ったり来たり暮らしを始める少し前から、環境問題に目が向くようになっていた。
西の浜には現在7機の巨大風車が、中部電力によって建てられている。平成17年の愛知万博をきっかけに、「たはらエコ・ガーデンシティ」構想と名付けられたエコ計画が始まり、年間平均風速3.7m/s、年間日照時間2200時間という環境を活かして風力発電施設や太陽光発電施設が建設されている、らしい。そしてさらに、これからまた巨大風車を立てようという計画が既に着工中らしい。
中部電力は、「浜の生態系など、付近の環境への影響は問題ないことが調査によって確認できている」といっている。何だか違和感がある。今回、真冬の遠浅の海で魚が釣れて、食べて、より違和感を感じるようになった。自分の足の膝まわりの外側に風車が建てられようとしている感じがする。しかし再生可能エネルギーの可能性もわかる。
今日は田原市文化会館で行われていた、「親が遊べば子は育つ_渥美半島で見つける 教室では教わらない生きる力」と言うトークイベントに行ってきた。ゲストはNPO法人ホールアース自然学校の代表、山崎宏さん。
山崎さんは野鳥が好きで、日本野鳥の会で働いていた時があって、自然保護の活動をしてきたけど、開発が始まってから抗議活動が起こって、結局止められないと言う状況の中で、必要なのは環境教育だ、と思って自然学校をやっていると言う話をしてくれた。
環境教育が必要だと思った、と言う言葉が強く響いた。これまで、どう生きていけばいいのかを考えると、色々考えると、結局芸術教育をやっていくことが必要だと思うことが何度もあった。今日は、芸術と自然環境は、芸術教育と環境教育は切り離せないのだと強く思った。まだ実感は持てないけど、同じようにあらゆる教育分野は切り離せない予感がする。
最近、中部電力に対して抗議したい気持ちが湧いてきていた。しかし、必要なのは環境教育なのかもしれないと思った。どちらも必要か。しかし自分が選択できることは限られているから、何を選んで生きていけばいいのか。どちらもやればいいのだろうか。
山崎さんは、私は逃げ切れるけど、今生まれてきている子供たちは逃げきれない。今頑張れば、まだ残せる自然環境はある。私たちは試されている世代だと思う。今は頑張りどきだから、ここで踏ん張らなければいけない。と言っていた。
芸術教育、環境教育ということを考えると、結局、何かを教えるというイメージというより、人間にとって大事なことを表現することが大切だと、一歩を踏み出すことになる。これも、なぜだか小中山のあの一体を行ったり来たりし続けているように、なぜだか私はそういう形になっていく。
帰りの中央線の電車の中で、岡崎健二郎さんの「芸術は人間に魂を自覚させる」と言う言葉の響きが強まった。
実家を整理したら、地域で何かを何かをつくっている人達の、つくったものが集まる場所をやってもいいかもしれないと思った。
