隠してる自分が情けないというときに、何が起こっているのかという話をもう一度聞いてもいいですか?
結局は、人の決めた善悪だったり、わからないもの、自分の意志が負けてるのかなあ。お風呂のルールだったり、価値観?お風呂は世間体とも言えるけど。
親のにしてもお風呂場にしても、いれずみが入ってる人は悪とか、一般社会に馴染めないからとか、レッテル貼りではあると思う。そういうものには普段、制作とか、気持ち的には真っ向から反抗しているんだけど、構造的には隠すことによってそのレッテルを受け入れてる。
レッテルを貼られたくないから隠すんですか?
直接だとそのレッテルによって生じた、、親だったらそれをみて悲しんだりするのをみたくない。お風呂場だったら単純にお風呂に入っていたい。それができる人もいるじゃないですか。それがすごいかっこいいと思うけど、それができてない。そのできてなさが情けないっていうことで、それが結局自分の抗えない本性で、いい子になろうとしてるのかなって。親からの印象を守ろうとしている。あいつはこんなことするはずないみたいなのだったり、、、、
でも親だけじゃなくて、別に言われることはないけど優しいですねって言われたら優しくあろうとしちゃうみたいな感じ。
そういう場面で微細な心的な動きがあると思うんですけど、それをみていくのがやってみたくなりました。
親に嫌な思い入れがある人はいると思うけど、俺は恵まれてるっていうか、親は正しい人で、、、だからなんかその正しさには、、、 自分なりの成功とか、最低限自分で生きる力とかは目指してきた。昔の自分が感じた嬉しさとか優しさとかを裏切る感じがあるのかな。
いれずみを彫ったのは、典型的な反抗の一つだったって言いましたっけ?
(頷く)
Nさん自身はいれずみのことを悪とか、劣ってる何かの烙印だと思ってるんですか?
劣ってるとかそういうのはないけど、求められるものではないと思う。普通求められない。どっかからははぐれちゃうなって感じが明確にする。
例えば軍隊に入れなくなったりとか?
それもそう、一つ。
いれずみを彫ることがマジョリティな人間社会もありますよね。そういうのはどう思いますか。
なんか、そういう社会だとなんとなくの印象だと、割と魔術的要素があるっていうか、役割があって入ってる感じがするので、それは純粋にかっこいいなと思う。だからそういう見方をすれば神聖なものだからこそ、自分に入れる時にはなんか、すごく意味を持たないといけない感じがある。
すごく意味を持たないというのは、価値があるものであってほしいみたいなことですか。
価値かわからないけど、何かしら影響は与えると思うから、身体的にも周囲にも。それを考慮せずに入れるっていうのは自分の機能を損なう気がしちゃう。逆にいえば、それをちゃんと構築すれば自分を補えるものになると思うから。ていう意味で価値は考えている。
かつての自分と今の自分って切り離して認識できないんですか?
基本的には切り離しているつもりなんだけど、自分の行動を考えると無意識下でつなげてるなっていうのはある。
じゃあ、両親が悲しむのが嫌っていうのは他の人が悲しませているみたいな感じもしますか?
うーん、それは自分が悲しませるって感じがする。両親の忠告を軽々しく捉えたって思われちゃう。ただ現在の自分も歳をとるごとに違う自分なのになって感じもするけど。離婚してたのもそうだし、両親が期待していた自分ではとっくにない気もするけど。
今はそういう両親の忠告的なことを聞いたらどう反応するんですか?
実際オフィスを開いた時にでかい金を使うから母親に相談したりしたけど、やめろって言って、でも補助金とってやったりして。無視する?判断するときはするけど。
両親が悲しむというのは何を悲しんでいるんですか?
なんなんだろうね。なんか、、、違う世界にいっちゃったこと?
Nさんは自分と両親は違う世界にいるなと思うんですか?
そりゃあまあなんか、人生として違う世界を見ていると思うけど、幼少期とか、俺が知らない視点で俺を見てたりするとかで、どっかしら共有するところがあるような。
じゃあNさんは違う世界もあるけど、共有してる部分もあるっていう感じがする?
うん、まあでも、最終的にどっちかが死んだり、最終的に別世界になるってことはわかっている。
ご両親と一緒に彫るのはどうですか
え?(笑)びっくりする(笑)すごい、そんな発想なかったな。それはしないっていうのはわかるんだよな。それはレッテル貼ってるってことだと思うんだけど、割と全てお互いを放任してるとこがあって受動的な感じが俺の家庭全体に漂ってる感じがあって。
