これまでは、最も重心を置いていた時間のまとまりが2〜3年というものだった。形態が機能しないということへの気づきをきっかけに制作姿勢の転換があって、重心を置く時間のまとまりにも大きな変化があった。100年ぐらいかなと思うようになった。ただ、100年という時間をとらえることがまず難しい。それを捉えていくことが今後必要になってくることに思う。年上の人に聞いてみよう。
2025/12/17
あと、つくるときの時間感覚の話もした。自分は、いれずみの部分だけでいえば五十年の時間感覚でつくりたいと思っている。二年に一回でも、五十年かければ25回彫れる。二十五回に分けられた彫りで積み上がった墨の彩から五十年という時間を感じ取ることができる、というようなものができるんじゃないだろうか。すごくやってみたい。しかしそれだけ時間をかけて作っても、身体が跡形もなくなってしまったら、自然に帰ってしまうというのがなんとも切なく、儚い。
常に変化を続け、再生もする有限な生命の中でやっているからできることだと思う。有限だからこそ五十年、百年と時間をかけたいと思わされる。切なくなることで、在るということが大切なことなんだということを感じ取ることができる。
2026/01/20
この日は、あと何回くらいで完成しそうかといったことや、今後どれぐらいの頻度で施術を行うのが理想かという話にもなった。
私は、私自身、いれずみを彫る人間として、どのようないれずみと出会いたいかというと、、、
それはまだ、言葉にはならないのだけど、現状、自らの身を投じられると思えるものは、人にとって長い時間感覚の中でつくっていくということ。
はっきりとそれを自覚して、自分のところへ来てくれた人へそのままそう伝え始めたのは最近のことだった。
これまでは、長い時間感覚の中で自分一人はやっているつもりでも、彫りにくてくれた人を巻き込もうとはしなかった。70歳ぐらいになって、どのようないれずみが彫れるだろうかとは思っていたけど、今来てくれた人に対して、「70歳まで続くような作品を作りましょう」とは言ってこなかった。それぐらいの歳になって、その時来てくれた人に彫る場面をイメージしていた。そうだとしたら、70歳になっても、一つのいれずみを2年ほどで形にして、それ以降はあまり関わらないということになっただろうか。
彫りに来てくれる人に、どれぐらいで完成させられますか?ということはとてもよく聞かれる。今までも、「完成」ということに対してはしつこく自分の構えを伝えさせてもらっていた。自分は「完成」ということがよくわかっていない。基本的に何事もずっと続いていくし、変化し続けていくもののように感じる。そんな中で「これぐらいで完成します」と言うのは何か、すごく嘘をついている気になる。
と言うことを説明させてもらって、「完成」と言う言葉を図々しくも「形にする」と言う言葉に言い換えさせてもらって、「だいたい二ヶ月に一回ぐらい来て貰えれば、一年と少しで腕一本が一度形になるような感じです」と答えていた。
しかしそれは、来てくれる人はだいたいできるだけ早く終わらせたいだろうと言う風に前提してのことだったと思う。とはいえ今でも、「何十年もかけて、続けていきましょう」と言って「いいですね。そうしましょう」と答える人がたくさんいるとは思えないのだけど。実際、来てくれる人の中で、できるならできるだけ早く完成させたいと言う気持ちを持っている人がたくさんいることも事実だった。
自分にとっていれずみを彫ると言うことは、何かしらの「完成」を目指して始めて、初めから終わりが用意されているようなものではなく、これまでもずっと続けてきたものを、ここではいれずみと言う形にすると言うことで、これまでもずっと続けてきたことだから、これからも変化しながら続けていくしかないようなことなのだと思う。
そうなると、必然的に、その、「これまでもずっと続けてきたし、これからも変化しながら続いていくこと」と、いれずみと言う形を通して、それが立ち昇ってくる場所に立ち合いたいと言うものになる。
そうなると、彫りたいものは、「ずっと続いてきた何かの、いまここでの一つの現れとしての形」になる。
そのような中で、彫るのは一年に一回、数年に一回という感覚で、仮に50年続けることができれば、数十回は彫れることになる、ようなものをつくりたいと思うようになった。
初めから「完成」を目指して、それを1、2年で仕上げようと思うと、十回未満の施術でも、少し焦ったりするようになる。
「これまでもずっと続けてきていて、これからも変化をしながら続いていくしかないようなもの、の、いまここでの、一つの形としての現れ、たちの、数十年の連続」をつくろうと踏み出して、それを来てくれた人にも、「自分はこういうものがつくりたい」ということを伝える、ということを始めてから、以前より焦ることは少なくなった。
すると意外にも、ほとんどの人が、「さすがにこれぐらいまでは、少なくとも1年とかで形にできるといいけど、そのあとは、そうやって彫っていくのもいいですね」と言ってくれた。
Oさんも今日そのように言ってくれた。特に、「朝日さんの一生がどういうものになるのか見てみたいですし」と言ってくれたことが嬉しかった。
いれずみ・タトゥーが好きな人には、自分達が彫っている作品をみて「すごいですね」と言ってもらえることがそれなりにあるけど、やはり、「図案を手放したいと思うんです」とか、「ずっと続いていくものを彫りたいんです」と言い出した時に、「いいですね、そういうのがやりたかったです」とすぐにのってくれる、ここに来てくれている人々が何よりもすごいよなと、以前より思ってきていたけど、最近またその驚きが増している。そういう人たちだから、なおさら、その人の「ずっと続いてきたものの、今ここでの形としての現れ」を彫って、人一人分の時間が現れてくるところまで連続させたいと思わされる。その結果出てくるものが素晴らしく理想的なものかどうかは不確実なのだが、そういう一擲を共にしてくれる人たち。もしかしたら、そういう一擲をするものとしていれずみ・タトゥーを彫りたいと思っている人たちは自分が思っているよりもっとたくさんいて、むしろそういう一擲をしてくれる彫師を探しているのかもしれない。