人という神秘的なものと、面と向かって、お互い真剣にどういういれずみをつくっていきたいか話し合うこと。それを通して、その人の普通が見えてくること。その人らしさが感じられること。
どうしたいか、は変わっていくけど、あまり変わってない、普通、みたいなものを感じられること。話していたことが現実になったりすること。そこから話直すこと、関係が変わっていくこと、が嬉しい。
人、というものと何かが起こることはおもしろい。
例えばRsさんの話は、
「大理石?水面?煙にも見えるような感じは好きです。
細かすぎても嫌なんです。色彩としては好きなんですけど、編み目みたいに見えるのはあんまり好きじゃなくて。等間隔っぽい感じのやつとか好きじゃなくて、なんかほんと、なんなのこれ?みたいなのが好きなんですよ。
例えばこういうベースで、蝶がどーんといるというよりかは、よくみたら蝶だねぐらいでもいいかなと思っていて。みんなが考える蝶の形じゃなくても、自分がわかればいいので。
あくまで私はベース、繊細な線をメインにしたいので、どちらかと言ったら蝶は二番手。ベース、主役を汚さない程度でいて欲しいです。でも、蝶の主張がある程度あっても、ベースを汚しているという感じにはならない構成があるのであれば、全然それでもいいです。違和感、取ってつけたようなのが嫌です。うまく蝶という対象と抽象的な図像が調和するのであれば、それが一番最高ではありますね。」
というものだったりする。
このような話は、次々と画像を参照して、共有して、を繰り返しているだけだと聞くことができない。
Rsさんの場合は、「蝶」というイメージが大切な一方、「大理石?水面?煙?にも見えるような感じ」と言っているものでは、形として目に見えてわかる図像が重要なのではなく、それを見たときに内面に起こる感覚が重要ということだと思った。
「蝶」という具体的なイメージと、図像を見たときの内面の感覚の、どちらも大切にしようとしているところに「Rsさんの話」を感じた。
Rsさんは、抽象的な図像を扱う上で、どのような感覚を自分の内面に起こさせる図像がよいか、ということを感じとる大きさと、「蝶」というイメージ、存在自体への大切さが、何か、吊り合っているような感じがした。拮抗している感じ、その二つの力の入り方が心地よい緊張感を生んでいるような感じ。そんなことを思って、それをRsさんに伝えると、
「どっかでセーブしちゃうじゃないですか。好きなもの、好きなもの。でも大人になるにつれて、ほんとに楽しいことって少なくなるから、たまには馬鹿になるのもいいですよね。好きなものと好きなものを掛け合わせたらもっと好きになるんじゃないかという単純なことなんですけど。」と話した。
このようなことを彫る前に、彫りながらも、続けて、〈その人のいれずみの話〉の前にいられることが、とても楽しい。彫師としてやっていて楽しい在り方をしたいから、という動機で、多くのことをしているというのは、ある意味とても身勝手だなと思ってはいるのだけど、なぜだか全然いいですよと言ってくれる人が多くて、とても有難い。
〈その人のいれずみの話〉は、変わっていったりもする。2年ぶりにあったり、初めて彫った時から5年経って、過去を振り返ったりすると、変化を感じる。それがまた楽しい。